富士見市指定文化財コロボックルの碑

提供開始:平成16年(2004年)8月8日

埼玉県富士見市指定有形文化財コロボックルの碑について調べてみました。

コロボックルの碑(貝塚稲荷旧跡碑)↓/参考文献↓(8件)

●コロボックルの碑(貝塚稲荷旧跡碑)

@富士見市の富士見市コミュニティフォーラム(FCF)に、コロボックルの碑について質問があったので、調べてみました(関連投稿は、8月中旬ころ、FCF(2004年8月)に転載予定。)。

富士見市役所北西700mほどの住宅街、市立第3保育所(山室2丁目26番20号)と住宅との狭間の小さな高台に「貝塚稲荷旧跡碑」と刻まれた石碑があります。粘板岩系の石材(参考文献↓(1)による)、高さ約88cm、幅約57cm、厚さ約8cm(筆者実測。最大と思われる部位の値。)。

この碑は、大正元年(1912年)12月25日に建設され、時代を下り、昭和50年(1975年)11月1日、富士見市指定文化財第2号となりました(第1〜3号は同日指定。市指定有形文化財。富士見市教育委員会所有。)。

碑の裏にその来歴が刻まれており、「三千年以前石器時代 コロボックル人種遺物」の一節から、コロボックルの碑と呼ばれています。

明治40年(1907年)、東京帝国大学人類学教室の学士十数人が貝塚調査に訪れ、出土した土器や石器は、コロボックルの残したものと説明したと言われています。当時、今でいう縄文人は、アイヌ伝承の先住民・コロボックルであるという説とアイヌ説とがありました。人類学教室の中心で、現在の日本人類学会の創始者にあたる坪井正五郎は、コロボックル説を唱えており、学士らの説明は、これに基づくものです。そのような学説があった証拠として、学史上の意義があります。

また、明治41年、この地にあった貝塚稲荷神社が村社氷川神社に移転合祀され、明治43年、跡地を開墾したところ、古墳時代の人骨と鉄刀が出土しました。人骨は改葬され、鉄刀は東京帝室博物館(現在の東京国立博物館)に寄贈されました(鉄刀は同館に現存)。このことから、富士見市の文化財保護の原点を示すものとしての意義もあります。

碑の写真を掲載できるとよいですが、画像処理環境が整っていないためできません。参考文献↓(1)〜(4)には、小さな写真が掲載されています。富士見市周辺の方は、直接、碑を見に行かれるとよいでしょう。遠方の方は、図書館に相談されれば、実費で資料の写しを送付してもらえると思います。交通の便はよいと言えず、石碑と教育委員会の案内板があるという程度の所ですが。

この碑は、富士見羽沢郵便局(羽沢1丁目31−3)の消印(風景印)にもなっています。中央に碑、左に富士山、右に市の花・藤をデザインしたものです。Web上でも、次の所でその印影を見ることができます。このページによると、使用開始は、平成11年(1999年)11月1日です。

富士見羽沢(風景印と小型印の情報)www.keshiin.com/99fuin/9911fu/99110128.html

参考文献↓(7)で、東京都文京区駒込動坂町(現本駒込)の目赤不動にも、コロボックル記念碑があることがわかりました。(8)によると、明治28年(1895年)、江戸五色不動の一つ・目赤不動の境内に建てられた「太古の遺跡」碑がそれにあたるようです。コロボックル説を唱えた坪井正五郎による発掘にまつわるものです。現在は、目赤不動とともに、徳源禅院(東京都文京区本駒込3丁目7−14)へ移築されているとのことです。しかし、一般的には、南谷寺(本駒込1丁目20−20)が目赤不動とされており、この矛盾は未解明です。ともあれ、次の所にも、「徳源寺」の碑の写真が掲載されています。

水上勉「私版東京図絵」散歩 第一回 蓬莱町から動坂目赤不動まで(東京紅團)www.tokyo-kurenaidan.com/mizukami-tokyo31.htm

●参考文献(8件)

(4)を除き、富士見市立中央図書館で所蔵しています。(4)も近いうちに収集されるかもしれません。(1)〜(6)は、富士見市役所内の市政情報コーナーにもあります。

なお、市史編さん室は既になく、富士見市教育委員会事務局社会教育課文化財担当が引き継いでいます。(1)と(6)は有償で、(4)は無償で頒布しています(送料別)。

(1)荒井幹夫「貝塚稲荷旧跡碑」
『富士見市史研究』創刊号(昭和58年(1983年)3月31日・富士見市総務部市史編さん室編・富士見市・A5・112頁・1300円)13〜30頁
ここに示したもののうち最も詳しく、諸文献に基づき研究成果を整理したものです。碑の高さ87cm、幅57cm、厚さ18cmとしています。測り方により多少の誤差は生じるでしょうが、厚さは誤記と思われます。また、碑文の記述に脱字、誤字が見られます。

(2)「ふるさと再発見 富士見の指定文化財 5 富士見市指定有形文化財 コロボックルの碑」
『広報ふじみ』No.669(平成12年(2000年)8月10日・富士見市・A4・20頁)16頁
市の広報紙の記事です。碑の高さ85cmとしています。

(3)「市指定有形文化財 コロボックルの碑」(歴史を刻む石碑)
『ふじみの指定文化財』(平成8年(1996年)3月29日・富士見市教育委員会・B5・12頁)5頁
パンフレットの1項目で、(2)よりも簡潔です。

(4)「コロボックルの碑」
『富士見市指定文化財MAP』(平成13年(2001年)3月31日・富士見市教育委員会・A3・四つ折り)
1枚ものの地図で、(3)よりも短く、100字程度です。

(5)「郷土の風景が消印になりました 第5回 富士見羽沢郵便局」
『広報ふじみ』No.671(平成12年(2000年)9月10日・富士見市・A4・18頁)10頁
市の広報紙の10日号に平成12年5月から連載された市内8郵便局の風景印紹介の一つです。

(6)「3 貝塚山遺跡 渡戸一丁目」(第二章 富士見市の主要な遺跡)
『富士見市史 資料編2 考古』(昭和61年(1986年)3月31日・富士見市教育委員会市史編さん室編・富士見市・A5・486頁・2600円)64〜91頁
碑周辺の遺跡の解説で、碑については、2か所に数行ずつのみです。市公式サイト内「富士見市の歴史と文化財」の中に、この遺跡のデータも掲載されています。

No.19 貝塚山遺跡(富士見市の遺跡)www.city.fujimi.saitama.jp/databox/bunkazai/iseki/iseki19.htm

(7)大竹正太郎「コロボックル碑におもう 日本考古学黎明期の人たち」
『郷土ふじみ』No.3(昭和48年(1973年)11月1日・富士見市郷土史同好会・A5・94頁)74〜76頁
エッセイで、市外のことが主につづられています。同会の事務所は、当時、市社会教育課に置かれていたようですが、現況は、未調査です。

(8)「動坂遺跡」(第三章 山の手台地北部 6 弥生町の貝塚と本郷台地の遺跡)
『日本の古代遺跡 32 東京23区』(昭和62年(1987年)5月31日・森浩一企画・坂誥秀一著・株式会社保育社・B6・279頁)176〜178頁
もう一つのコロボックルの碑・「太古の遺跡」碑の写真が掲載されています。よりよい資料があるかもしれませんが、調査不足です。

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